土居三山の真中・に聳える明の霊峰二ッ嶽  西峨蔵山に鉾石明神を祀る昔雨乞神事有
「霧晴てゐる野に曇るあるし哉 右東武二六庵一茶時風折ふし留守の節也」添書 時風の筆か
今上陛下御誕生記念碑のある梅園の早春  「入野のはら」 景色入野の原(現ススキが原

寛政七年二月二十六日野辺を逍遙し折から住吉の宮に詣で
「楽書の一句拙し山さくら 一茶 土居神社社頭 西連寺住職揮毫昭和四十四年建立
 
一茶は下五中七を比べたか。上五に焦点をあてたか一茶には
「拙しと鰒は思(は)ん人の顔」の句がある
              
 
境内の一茶桜(三代目)の碑
 
明和二年(一七六五)乙酉 時風の奉納扁額 「一茶の懐紙」真跡拡大拝殿奉納 十六代宮司

「行戻り尋ね入野の花見哉
むさしのゝ新羅房
境内奥句碑
一茶の懐紙の発句
反歌往路の「はろばろ」の部分を復路「道遠み」に「壷菫」 を「花菫」に改む。拝殿に時風奉納扁額あり、冒頭の西園寺大納言の下賜の歌千載集源顕国の「道遠み…」の歌を本歌とり』にみえる。境内「神苑と俳諧」碑。碑蔭にこの反歌の歌碑

 
「花に蝶 蝶にまた寄る小童 呉天  
  淡々流「点取り俳諧」を当地へ導入
碑蔭時風の壮挙を称えた呉天の詞書「花守花を知らず虫のすだけども…」の呉天晩年の真跡
「桂男の落子もあり溜水 関ト」真跡拡大 
師の半時庵(松木淡々)が百五十点という最高点をつけたという関トの句山中家九代目貞興境内句碑
「打むれて すみれ摘つゝなかき日も入野のはらにくらすもろ人 貞侯」
山中家十
代目俳号時風真跡拡大境内歌碑
「 ほん心はいかに入野の女郎花きん鳥
山中カド(関トの室) 俳号 錦鳥 女流俳人。→
星加本は顕彰に成功した父子を称えているとも
土居神社境内 句碑・歌碑の北側に解説
石は土居川奇石也。 クジャク石という。もう一つの奇石は、ススキガ原の梅園の墨照句碑の
簾也学名紅簾変岩
山中家に遺した一茶の懐紙(現在子規記念館寄託)拝殿に真跡拡大奉納 
印だけ抜粋
因 不

 某 ð@
イン  フウ
ボウ チユウ
因梅不ð@
梅 ニヨツテ空ノ星ニ
引首印
一茶
落款
別号むさしのゝ新羅房」のある発句。 境内句碑星加本では「新羅房」は「芭蕉」をもじっていると 俳諧 誹諧に諧謔味か 山部赤人の「春の野にすみれつみにと…」の歌の本歌と「野をなつ(か)しみ…」」の
(か)は欠字
紀行文と異なる反歌 
 復路 住吉の宮に詣で 「本歌とり」か 境内に歌碑神苑と俳諧碑の碑蔭
別号「山麻呂」のある長歌  
紀行文(往路)の題名は「長歌一首」とあるが、この懐紙では入野原作歌一首」 と題を改めている。「山麻呂」の別号はおわりの「むさしのゝ新羅房」の別号と共に当地のみで使っているという。星加本は、山麻呂は「柿本人麻呂」と「山部赤人」の「万葉の二歌聖」をまた「新羅房」は「俳聖芭蕉」をもじっているという。33歳の若き一茶の意気軒昂たるやまことに壮なりと。紀行文往路にはない別号である。
公郷より御下賜の短冊七葉 = 扁額は時風の筆による

 
   解説板 旧本殿(北側)左横    時風建立の両塚のゆかり」について
 住吉明神(元宮・現在合祀殿)前の御神水は時風の帰天二百年周年(寛政八年卒)を記念して平成八年に歌神住吉明神へ医王寺から檀家の協力と神社総代の奉仕により分水を引き献上したものである。
 
 時風は、医王寺の塚には、「いにしえをしたふて秋風夕月のふた塚をつきぬ」と前詞があり
「秋風やむかし夕月今の塚 暁雨館時風」との句を刻み時風建之とある。もう一方には、「ふたつの塚にしるしの石を建て」との前詞があり、「物言ハぬ石にや降りてきゆる露」と吟じて門人時風建之と刻んでいる。(この項星加本より引用)
 
 この二塚の前詞は、時風建之の「物云へは唇寒し秋の風」の秋風塚と門人時風建之の「かりのよや畑の夕月朝みどり」の夕月塚の時風の建立時の想いを探るキーワードか知れない。
 
 時風没後の二百年祭にあたり、時風建立の医王寺の「芭蕉、淡々の二塚の句」と住吉に奉納した「和歌」を奉納した時風ロマンを御神水でつなぎその威徳を称えたのである。

                    
「ゆかりあり献上人や神の水 師子」