医王寺の両塚の巻 芭蕉翁と半時庵朝水居士発句塚
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移遷して東面に建てられた現在の両塚 右 表 芭蕉塚「物云へは唇寒し秋の風」 裏 時風建之 左 表 半時庵朝水居士発句塚「かりのよや畑の夕月 朝みとり」 裏 門人時風建之 |
元の両塚 時風の建立した両塚 北面して芭蕉翁が上に、半時庵朝水居士発句塚が少し下に建てられていた。芭蕉崇拝か。前に池と庭あり。関トの室「かど」妹「みち」によって建てられた妙照閣も此処にあり作句をしたか。安永2年〜天明8年の建立と村上光信氏。 |
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一茶の書(左二短冊) 右は北条村 繞慶亭百茂 | 上から寺名額。医王寺正面全景。西国33番観音昭和12年記念碑。矢野社家奥津城。 | |
右は 北条村 黒河左平太 壮年の頃「遅き日や 今更何と 義仲寺にて 草の雨 繞慶亭 百茂」 |
下の二句は短冊帳(両塚の巻)の中の矢野社家八代目の矢野丹後家栄 号墨照が両塚に投句した句である。秋風塚は芭蕉塚であり、夕月塚は半時庵発句塚である。 | |
中央は芭蕉翁捧墳前 一茶拝 「此銘を守り人の短を解事なかれと塚の秋」 |
秋風塚 墨照 「慕ふべき道あり爰に秋の風」 |
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左は半時翁捧墳前「春や昔月や此碑の朝みとり」一茶 | 夕月塚 墨照 「絶すなの此夕月や水の音」 |
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芭蕉の座右の銘については 芭蕉の肖像画に加舎白雄の賛をしたものや 尾杖筆による芭蕉の肖像画に 后龍の賛をしたものなどが既に存在していた。勉強家の一茶は熟知していたと思われる。 |
時風は芭蕉塚に刻んだ句から「秋風塚」松木淡々塚に刻んだ句から「夕月塚」として発句塚とし、爾来この両塚に多くの句が詠まれている。後の短冊帳として遺る。 |