入野の歌碑・句碑めぐり
医王寺の両塚の巻
芭蕉翁と半時庵朝水居士発句塚
(秋風塚) (夕月塚)
 
移遷して東面に建てられた現在の両塚
右  表  芭蕉塚「物云へは唇寒し秋の風」
    裏 時風建之
左  表 半時庵朝水居士発句塚「かりのよや畑の夕月 朝みとり」
   
 裏   門人時風建之
元の両塚 時風の建立した両塚  
 北面して芭蕉翁が上に、半時庵朝水居士発句塚が少し下に建てられていた。芭蕉崇拝か。前に池と庭あり。関トの室「かど」妹「みち」によって建てられた妙照閣も此処にあり作句をしたか。安永2年〜天明8年の建立と村上光信氏。
表は半時庵朝水居士発句塚を中にはさんで宝暦十一年、辛巳十一月三日と師の淡々の命日を刻み、その左に「かりのよや畑の夕月朝みとり」の辞世の句とも思われる句が刻まれている。この塚を夕月塚という。裏面には門人時風建之とある。時風は「神童」の名高く松木淡々(半時庵)から拾一斎時風の号をもらい入門す。背後の石像は移遷された33体の観音様。 芭蕉塚 表は芭蕉翁の左に「物云へは唇寒し秋の風」 芭蕉の座右の銘が刻まれている。この塚を秋風塚」という。裏に時風建之とある。 
 ○貞徳 ○李吟       俳諧の伝系
 △芭蕉翁桃青→晋子其角→半時庵淡々
  →拾一斎時風
山中家累代の墓
「死しなば皆物いわぬもゝの花」の辞世の刻まれた俳号鼠兄の眠る墓地。幻住庵記・風羅念仏の椎の木を偲ばせる椎の巨木。 墓石には辞世が刻まれている関ト・時風・錦鳥の眠る墓地。
 一茶の書(左二短冊)  右は北条村 繞慶亭百茂 上から寺名額。医王寺正面全景。西国33番観音昭和12年記念碑。矢野社家奥津城。
右は                北条村 黒河左平太
 壮年の頃「遅き日や 今更何と
 義仲寺にて      草の雨  繞慶亭 百茂」                     
下の二句は短冊帳(両塚の巻)の中の矢野社家八代目の矢野丹後家栄 号墨照が両塚に投句した句である。秋風塚は芭蕉塚であり、夕月塚は半時庵発句塚である。
中央は芭蕉翁捧墳前             一茶拝
   「此銘を守り人の短を解事なかれと塚の秋」
         秋風塚        墨照
「慕ふべき道あり爰に秋の風」
左は半時翁捧墳前「春や昔月や此碑の朝みとり一茶          夕月塚        墨照
「絶すなの此夕月や水の音」
芭蕉の座右の銘については 芭蕉の肖像画に加舎白雄の賛をしたものや 尾杖筆による芭蕉の肖像画に
后龍の賛をしたものなどが既に存在していた。勉強家の一茶は熟知していたと思われる。
時風は芭蕉塚に刻んだ句から「秋風塚」松木淡々塚に刻んだ句から「夕月塚」として発句塚とし、爾来この両塚に多くの句が詠まれている。後の短冊帳として遺る。

上下あわせて      宝暦十一年
           半時庵朝水居士発句塚 
             辛巳十一月三日
          「かりのよや畑の夕月朝みとり」
上下あわせて
           芭 蕉 翁
       「物云へは唇寒し秋の風」
裏面  中央あたりに 門人時風建之 とある。 裏面 中央やや左よりに 時風建之 とある