お伊勢様


伊勢神宮の分社としてこの場所に祭祀した
と思われる。1650年(慶安3年)頃よりお伊勢様
お陰参りが流行しはじめ1867年(慶応3年)の
ええじゃないか騒動までの間はお伊勢参りを
するため日本中で講のしくみもできていたようで
講の所属者はお金を出し合い旅費に充当していた
ようです。たぶん板ヶ谷地区でもこういったお伊勢講
により伊勢参りを行ったのではないだろうか?
ただ遠い四国からのお伊勢参りは大変、過酷な旅
だったようで 年寄り 女 子供等行きたくても行け
ない人たちのため作られたのではないかと想像する

なぜこの場所に?             
古代から神様が降臨する場所は大きな
樹木か巨石がある所のようでこの二つ
共がある場所がこの場所だったのでは
 ないか?                   
  (そうでないと何でこんな山の中に作ら 
 れたのか誰も分からない気がする)   


御神体

伊勢神宮の八咫鏡(やたのかがみ)と同じ
ように板ヶ谷のお伊勢様も銅鏡が御神体です。
鏡は古来より神秘的なもので単に姿を写す
ことより祭祀の道具として使用されていた
ようです。

鏡には 藤原金益 と記してある
たぶん製作者の名前ではないかと思うが詳しい
ことは分かりません。
藤原金益についての情報
がありましたら教えてください。



祭事
毎年、三月の第一日曜日にこの場所で餅まきをする。
小生の小さい頃はこの餅まきが楽しみで大人も子供も地区の人全員が
参加をして盛大に行われていた。写真にもある大きな岩の上から大人たち
が餅をまきそれをみんなが拾う姿を今でも思いだす。
最近は、参加する人が少なくなり寂しい限りである。
地区のこういった伝統文化を後世に残していくためにも出来る限り参加を
してほしい。


古宮様(ふるみやさま)

影付け地区の氏神様として祀られております。
いつの時代から祀られているかは地区の年寄りに聞
いても定かではありませんが板ヶ谷の中では一番
古くからある神社のようです。

神社名が古宮と言うのでどこかの神社の元宮なのか?
それとも古くからあるので古宮なのか?
由来がまったく分かりません。

どなたか古宮様の由来等 情報をおもちのかた
教えてください
。私が聞いた地区の年寄りが言うには
この古宮様はとにかく
エライ神様であることは
間違いないと誰もが言います。
ふるみや様伝説



戦時中は影付け地区の人が戦争に召集される時は必ず
古宮様にお参りをして出兵しておりました。
影付け地区からも五名の方が戦争に召集されました。
板ヶ谷でも大勢の方が戦争にいかれ戦死されたかたが
沢山いらっしゃいます。でも、影付けの人たちは五名全員が
無事に帰られました。
これは古宮様が守ってくれたおかげだとおばちゃん
たちが話してくれました。

地区では子供のお宮参りもこの古宮様で行っていたと
聞きます。影付け地区の方は思い出があるのではない
でしょうか? 子供が病気になった時も古宮様にお願い
するとすぐに良くなると伝えられてます
古宮様やさしいだけではありません。
信仰心のない不心得なものには天罰を与えます。
お参りもせず境内の木に登ったり木を切ったり
すると、大怪我をしたり、高熱がでたりしますこんなときは
古宮様のバチが当たったのだと伝えられています。





祭事
現在は行っておりませんが昔は行っていたようです
年寄りの話では境内の藤の花が咲く頃に影付け地区の者が
弁当を持ち寄ていました。
時期的には五月頃だったようです。
最近は全くおこなわれてないようです影付け地区の
みなさん 藤の花が咲く頃古宮様にお参りされては
如何ですか?
古宮様も歓ばれますよ!



             板ヶ谷神社



現在の神社跡地です

目を閉じて思い出してみてください。
お社があり・・・
奉納相撲が行われ・・・
老いも若きも板ヶ谷全員が集い・・・
笑顔があり・・・
拍手喝采があり・・・

車座の中から笑い声がきこえてきませんか・・・