亥の子
旧暦十月亥の日を祝う行事です。
板ヶ谷でも亥の子をついて地区を回りましたその亥の子をつくときに
歌うのが亥の子うたです。
亥の子が近くなると夜、終点に集まり亥の子歌の練習をしたものです。
もう何年も亥の子歌を歌ったことがないので完璧な板ヶ谷の亥の子歌
ではないかもしれませんが記憶をたどりながら作ってみました。
亥の子歌
一番
祝いましょう 祝いましょう
お大黒さまは
一に 俵ふんまえて
二で にっこり笑うて
三で 酒造って
四つ 世の中よいように
五つ いつものごとくに
六つ 無病息災に
七つ 何事ないように
八つ 屋敷をつき広げ
九つ 小倉をつき建てて
十で とっておさめた
エイトヤー サイトヤー
二番 (うぐいす)
鶯が鶯が
今年初めて 伊勢参宮
伊勢の町ほど広けれど
一夜の宿を 借りかねて
下へさがれや高砂や 尾上の松の二の枝に
木の葉を食い寄せ 巣を組んで
十二の卵を産み揃え
十二が一度に飛ぶときは
金の杯 手に添えて
黄金の銚子でまわすよに
エイトヤー サイトヤー
三番 (くすの木)
いららぎや いららぎや
いららぎ山のくすの木を
もと切り離して 板にして
大工雇うて 船にして
沖の間中へ漕ぎ出して
沖の間中に艪が折れて
艪ではいけない うたでやれ
エイトヤー サイトヤー
四番 (亥の子の由来)
亥の子の由来を申すなら
ほうや 法華経
ほばしら八幡大菩薩
いかりを春日の大明神
せなに小松のはえた猪
仁田の四郎という人は
猪の背中に飛び乗って
ふたひろ縄で 絞め殺し
富士山のオ お山のオ
ぬしを殺した その罰で
昼は亥の子で つきかため
夜はぐすぐす もちかえす
占い博士にかけたなら
十月の 十月の
亥の日を 祀てついたなら
やっぱり今でも おだやかな
エイトヤー サイトヤー
お蔵うた
ここの旦那 分限者
西と東に 蔵建てて
西の蔵 米蔵
東の蔵 金蔵
福も得も 舞い込め 舞い込め
亥の子石は今現在板ヶ谷公会堂に保管されています。
5〜6年前に明間地区の運動会で使用したままの状態で保管されていますので石に
ロープもついた状態ですいつでも使用可能です。
この年季の入った亥の子石を見ていると突きたくなるのは私だけでしょうか?
昔は年行事として子供たちが地区内を回りました子供がいなくなるにつれて
亥の子も自然消滅していきました。
各家庭の庭先の土をつき固め摩り減って歪な形になってしまった亥の子石も
寂しそうです。